少し前のこと。
娘に教えてもらって、「エピクロスの処方箋」をオーディブルで聴いた。
大学病院で将来を期待されていた内科医の雄町哲郎が、
母を亡くしてひとりになった甥のために、地域病院で働くことを選ぶ。
医師としての立場も、過去のしがらみも抱えながら、
目の前の命と向き合っていく、というストーリー。

この物語の中に、強く残る言葉があった。

「幸福とはなんなのか?」
…から始まる一節。

過去を振り返って、
「あの頃は幸せだった」と思うことはある。
想像力で未来の幸せを描くこともできる。
でも、「今」という時間に幸福を見つけることは、
意外なほど難しい。

美味しいものを食べたり、
欲しかったものを手に入れたり、
行ってみたかった場所へ行ったり。

そうすることで幸せを感じることはあるけれど、
雄町曰く、
それは幸福とは違う種類のもので
あえて言葉にするなら「快楽」ではないか、と。

快楽の多くは、お金で手に入る。
けれどそうして手に入れた快楽は
あっという間に消えて、また次の快楽が欲しくなる。
そうやって、人は果てしなく快楽を求めて走り続けることになる。

その言葉に、自分のこれまでの姿が重なった。
重なってしまった。

私が「幸せ」と感じていたものの多くは
ここでいう「快楽」だったのではないか?

憧れのインテリアを見て、
同じように整えてみる。

画面の中にあったものが、自分の暮らしの中にある。
それだけで満たされた気持ちになる。

でも、しばらくすると、
また別の何かが気になりはじめる。
まさに追い求めて走り続けてきた。

15年のブログの中でも、
整理収納に終わりはなかった。

いつも「もっと、さらに」と探していた気がする。

もちろん、そうやって
自分なりの「快適な暮らし」を作ってきたことに
なんの後悔もない。

けれど「幸福」と思っていたこれらは
やっぱり「快楽」のような気がする、と。

ただ物語の続きには、別の意味での「快楽」が
書かれていた。

古代ギリシャの哲学者エピクロス、
快楽主義を唱えた人物の言葉。

エピクロスのいう快楽は、
楽しいことや刺激的なことではない。

心に悩みがなく、
身体に苦痛がなく、
そして孤独ではないこと。

つまり、「精神の安定」こそが快楽。

静かで、穏やかで、
満たされている状態。

それこそが、人にとっての最高の善だと。

それでいうならば。
最近の私は、ずいぶん静かになった。

どんなに素敵なインテリアを見ても、
以前のような強い欲求は起きない。

それをどこかで、
「気力が落ちた」と感じていた。
でも、そうじゃなかったのかもしれない。

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もう、充分に満たされている。
この、波の立たないような穏やかさを、
私はずっと望んでいたんじゃないだろうか。

モノや環境だけではなく、人との関係も。
無理をしなくても、自分のままでいられること。

それが、こんなにも心を穏やかにするとは。

もしそうだとしたら、
今のこの状態こそが、
エピクロスのいう「快楽」なのかもしれない。

もっと、もっと、がなく
ただ、もう充分だと思える。

それでも間違いなく、
欲しいものは買うし、
美味しいものは食べるし、
行きたい場所にも行くし
整え続ける。

欲がなくなったわけではない。

でも、その奥にあるものは、
確実に変わった気がする。

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最近の朝の日課。
庭に出て、いちごを数粒、食べる。
甘さを噛みしめながら、
今日もささやかな「幸せ」から始まる一日。

皆様にとっても良い一日になりますように。



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