実家にあったインスタントコーヒー。

私のコーヒーデビューは確か小学生でしたけど
そのころから実家ではずっとこれでしたね。

賞味期限に余裕があったので持ち帰って
せっせと消費しています。
ただ、たいていのものに
「開封後はお早めに」って
書かれているじゃないですか。
いつも思うんだけど
「お早めに」…ってどのくらい?
開封してしばらく忘れていたものとか
手に取ってしばし迷うことがときどきあります。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

今、家主さんからお借りした本を読んでいます。
その内容と、
身の回りで起きている出来事とを重ね合わせながら
つくづく思うのは
世の中の多くは善悪では割り切れない、ということです。
こちら側から見れば
「なに言ってんの!」と感じることも
あちら側から見れば、きっと同じように思われている。
結局のところ、どちらにもそれぞれの「正義」があるのです。
その正義は、いったい何を優先しているのか。
そこに、都合のいい理屈や、邪まな思いは紛れていないのか。
本を読みながら
どちらの主張にも「ぬぬぬ……なるほど……」と
頷かされてしまう自分がいて
もしこの場に立たされていたら
私は間違いなく風見鶏になっていただろうな
なんてことも思いました。
でも現実で、正義と正義がぶつかり合う場面に出くわしたとき。
話を聞いていて、気持ちが傾くのは
他責にする人よりも
自責の言葉を持つ人だったりします。
ただの責任逃れか。
それとも、問題を解決しようとする意志か。
人がどうこう、というより
これは私自身の課題でもありますが…
なかなか、難しいです。
そんなふうに考えていたとき
ある記事を思い出しました。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
善悪の問題にしてしまうと
結局は正義と正義のぶつかり合いになって
ケリがつかないままフェードアウトしてしまう。
白とも黒とも言えない問題は
善悪ではなく「好き嫌い」の問題にしていい。
好き嫌いに理由はいらない。
「ごめん、そういうことをする人、なんか嫌い」
それで終わらせてもいい。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
正しさを証明しようとするから
相手の正義ともぶつかってしまう。
でも「嫌い」という主観には
勝ち負けも、裁きも、必要ない。
好きに正義を乗せなくてもいいし
嫌いに無理やり悪を貼り付けなくてもいい。
善悪で考えすぎて、身動きが取れなくなったとき。
これは好き嫌いの話だとして聞くのも
ひとつの方法かも。
そう考えると
本のストーリーも
TVで報道されていることも
そして身の回りで起きていることも。
少しだけ見方を変えてみることで
ほんのわずかでも、 視野が広がるのかもしれない。
そんな気がしてきます。
……とはいえ。
好き嫌いだけで
理不尽な試練を背負わされることもあると思うと
やっぱり話はそう単純ではなくて。
世の中の問題を解決するのは、
一筋縄ではいきませんね
せめて身近の平和のために
心身を鍛えたいものです。
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愛用品を集めたり仮想ショッピングを楽しんでいます♩


私のコーヒーデビューは確か小学生でしたけど
そのころから実家ではずっとこれでしたね。

賞味期限に余裕があったので持ち帰って
せっせと消費しています。
ただ、たいていのものに
「開封後はお早めに」って
書かれているじゃないですか。
いつも思うんだけど
「お早めに」…ってどのくらい?
開封してしばらく忘れていたものとか
手に取ってしばし迷うことがときどきあります。
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今、家主さんからお借りした本を読んでいます。
その内容と、
身の回りで起きている出来事とを重ね合わせながら
つくづく思うのは
世の中の多くは善悪では割り切れない、ということです。
こちら側から見れば
「なに言ってんの!」と感じることも
あちら側から見れば、きっと同じように思われている。
結局のところ、どちらにもそれぞれの「正義」があるのです。
その正義は、いったい何を優先しているのか。
そこに、都合のいい理屈や、邪まな思いは紛れていないのか。
本を読みながら
どちらの主張にも「ぬぬぬ……なるほど……」と
頷かされてしまう自分がいて
もしこの場に立たされていたら
私は間違いなく風見鶏になっていただろうな
なんてことも思いました。
でも現実で、正義と正義がぶつかり合う場面に出くわしたとき。
話を聞いていて、気持ちが傾くのは
他責にする人よりも
自責の言葉を持つ人だったりします。
ただの責任逃れか。
それとも、問題を解決しようとする意志か。
人がどうこう、というより
これは私自身の課題でもありますが…
なかなか、難しいです。
そんなふうに考えていたとき
ある記事を思い出しました。
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善悪の問題にしてしまうと
結局は正義と正義のぶつかり合いになって
ケリがつかないままフェードアウトしてしまう。
白とも黒とも言えない問題は
善悪ではなく「好き嫌い」の問題にしていい。
好き嫌いに理由はいらない。
「ごめん、そういうことをする人、なんか嫌い」
それで終わらせてもいい。
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正しさを証明しようとするから
相手の正義ともぶつかってしまう。
でも「嫌い」という主観には
勝ち負けも、裁きも、必要ない。
好きに正義を乗せなくてもいいし
嫌いに無理やり悪を貼り付けなくてもいい。
善悪で考えすぎて、身動きが取れなくなったとき。
これは好き嫌いの話だとして聞くのも
ひとつの方法かも。
そう考えると
本のストーリーも
TVで報道されていることも
そして身の回りで起きていることも。
少しだけ見方を変えてみることで
ほんのわずかでも、 視野が広がるのかもしれない。
そんな気がしてきます。
……とはいえ。
好き嫌いだけで
理不尽な試練を背負わされることもあると思うと
やっぱり話はそう単純ではなくて。
世の中の問題を解決するのは、
一筋縄ではいきませんね
せめて身近の平和のために
心身を鍛えたいものです。












