父が入院して手術を終え、自宅に帰る間もなく転院。
様子を見ていましたが、緩和ケアに切り替えました。

これがまだ一ヵ月も経っていない間の出来事とは。
今日あらためて日付を確認して驚きました。

母の時と今回の父。
遡って祖母。

私は自分が見てきたことでしか分かりませんが、今まで当たり前に持っていたものが、少しずつ奪われる。

食べること
動くこと
そして会話すること

こういう姿を見ることも、「親の背中」といっていいのだろうか?

勝手にいいと許可するとして
私が親の背中を見て思うのは、どの順番で奪われるのか分からないけど、それは致し方ない。
受け容れる。

でもできれば会話ができなくなるのは、最後であってほしいなぁ。

母の時も今の父もそうだけど、私が救われたのは会話ができたから。
少しずつ心の準備ができるのです。

一ヵ月前の父とは会話できていました。
元々口数が少ないし、認知症もあって会話の量こそ多くはないけど。

今は入れ歯も外しているし、薬でボーっとしているのもあって、とてもたどたどしいです。

それでも帰り際、妹と「じゃあまた明日ねー!」と声を掛けると、掛け布団にもぐらせている手を振っている。
このやりとりも私にとっては会話。

あれ?
そういえばお父さんが私らに手を振るとか…初めてやないっ⁉

妹とそんな話をしながら病院を後にしました。


私は子供のころから家族の誰より忘れっぽいです。
認知症の種を抱いて生まれてきたのではないかと思ってしまうくらい。
だから私は種から芽が出ないように、遠ざけたいのだと思うのです。

でも毛嫌いして必死になると、逆に引き寄せてしまうような気がするのは私だけだろうか?

長生きしたいわけではありません。
でも生きている間、できる限り家族や周りの仲間たちと会話ができたら、それだけでしあわせなんだけどな。
そのくらいのことです。

父のことがあって認知症に関する情報を見ることが多くなったけど。
結局のところ、体に良いものを食べて、体を動かして、そしてちゃんと寝る。

これに行きつくのです。

とっかかりこそ認知症予防。
だけどそうならないようにと必死でやるよりは、当たり前の生活習慣になるように自然に溶け込ませていきたい。

そう思ってできることを少しずつ取り入れているのだけど。
身体を蝕むものは簡単に取り入れられて、なんなら中毒性まであるというのに。
それを絶つことのなんと大変なこと

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みかん農家の叔母から届きました。
父のところに送れないから、我が家に送ってくれました。

母曰く、この叔母と私が顔も性格もよく似ているのだとか。
我ながらちょっと分かる気がする。

さっそくあちこちにおすそ分け。
逆に頂くこともあったり。
愛媛あるあるです。




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