あっという間に月末。
というか年度末。
やることが押し寄せてきて、息継ぎに必死です。

日ごろから開け閉めの多い家計管理ケース。
使い始めてまだ1年半くらいですが、今後買い替えることはないと断言できるほど重宝しています。

iPhoneの家計簿アプリや銀行のアプリを開き、一ヵ月を振り返ります。
そしてサブスクなどの出費を見直すのです。
今月で雑誌の定期購読をひとつ辞めることにしました。
さて、話は変わりますが。
過去記事で探し物をしていたら、鍵をかけた記事を見つけました。
今日はその記事を使って書いてみようと思います。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
私はドラマをよく見る方だと思います。
といっても好みはあるわけで、どのドラマを見るかを選ぶ基準はセリフの魅力。
自分が思いつかないような言葉の組み合わせなどにハッとさせられると、そのシーンばかりを何度も繰り返し見てしまいます。
ドラマのセリフについては過去にも記事にしました。
言葉のちから
「作り上げられた世界ではあるけれど、このセリフを生み出した人がいることは架空ではなく事実」
と、この時の記事にも書いています。
そんな私がなぜか、共感できるのに違和感を覚えたセリフがあります。
それはサバイバル・ウエディングというドラマ。
ドラマが始まる前に紹介されているストーリーを見たとき、私の好みではなさそうだなぁ…と思い、録画の予約リストからは外していたんですよね。
ところがある日、テレビをつけたときに流れていたこのドラマをなんとなく見ていたら。
想像していたより面白かった。
その日から予約リストに加わったのでした。
そのサバイバル・ウエディングでの編集長のセリフ。
この言葉の何が違和感だったのか?妙に気になったんだけど、どうやら私の過去の感情がそうさせたようです。
22歳の私は結婚したら幸せになれると思っていました。
というよりも、
幸せにしてもらえる、と思っていました。
でも振り返れば結婚当初?、元夫は私にこう言いました。
『coyukiを幸せにできるなんてことは言えないけど、俺が幸せになる自信はある』と。
このとき私は
「なんて自分に正直な人なんだろう!最初からカッコつけずにこんな風に言える人なら私は信じられる!」
って思ったんですよね。
そうして始まった結婚生活。
まぁ…想像もしていなかったことが次から次へと起こります。
けれどそれを乗り越えていくことが、幸せへの階段を一段一段上がっているということなんだと信じていました。
だから自分の感情は横におき、周りにとっての”ベスト”を最優先しました。
その選択で、ホッとしたり喜んでくれることを感じられたのは嬉しかった。
なのに、離婚して娘を連れてのシングルマザーになりました。
「誰かに幸せにしてもらえるよう拝むのではなく」に対し、幸せは依存して手に入るものではないと思っているので共感。
「人を幸せにできる人間になれということ」に対し、人を不幸にするような人間になっちゃダメ!と思うので共感。
でも人が幸せなら自分も幸せ。
そう信じて自身を思いやることを後回しにし、周りの意志を最優先にしてできる限りの手を尽くしたつもりの私。
22歳の頃に望んだ幸せは得られなかったよね?
共感できるのに違和感。
あのセリフを聞いたときにそんな感情が一瞬顔を出しました。
じゃあ22歳に望んだ幸せを得られなかった今の私は、不幸なのか?
これから先何が起こるか予測もできないし、生活の安定も健康も約束されたわけでもない。
けれど今の私は、大なり小なり関わってくださったすべての方々のおかげで、ありがたい時間を過ごせているという実感があります。
たったひとつのドラマのセリフがきっかけではありましたが、過去を振り返って。
誰かの喜びに携われる自分でいれば、その瞬間は一見すると一方通行のようなことでも、違う方角から律儀に自分に返ってくる、そんな風に思います。
結局のところぐるっと一周回ってこのセリフに100%共感。
人を幸せにします!
…なんてことを、自分の非力さを知っている今の私には、おこがましくて言い切れません。
だけどせめて自分自身を信頼できる”私”でありたい。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
読みづらく感じたところを少し修正しています。
5年前の記事に、今の私が付け加えるなら。
”誰かのため”に、自分を置き去りにしてもいけない。
”自分のため”に、誰かを置き去りにしてもいけない。
この難しいバランスを取りやすくするために、信頼できる”私”であることが支えになる。
そう思っているのだけど、ブレブレの私には遠い理想。
まだまだ周りの言葉にハッとさせられることが多く、なかなかたどり着けません。
だから多分、この修業は一生続くんだろうな、と思っています。
月末の年度末。
やりたいことが盛りだくさんですが、短くて貴重な春の陽気も楽しもうと思います。
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というか年度末。
やることが押し寄せてきて、息継ぎに必死です。

日ごろから開け閉めの多い家計管理ケース。
使い始めてまだ1年半くらいですが、今後買い替えることはないと断言できるほど重宝しています。

iPhoneの家計簿アプリや銀行のアプリを開き、一ヵ月を振り返ります。
そしてサブスクなどの出費を見直すのです。
今月で雑誌の定期購読をひとつ辞めることにしました。
さて、話は変わりますが。
過去記事で探し物をしていたら、鍵をかけた記事を見つけました。

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私はドラマをよく見る方だと思います。
といっても好みはあるわけで、どのドラマを見るかを選ぶ基準はセリフの魅力。
自分が思いつかないような言葉の組み合わせなどにハッとさせられると、そのシーンばかりを何度も繰り返し見てしまいます。
ドラマのセリフについては過去にも記事にしました。
言葉のちから
「作り上げられた世界ではあるけれど、このセリフを生み出した人がいることは架空ではなく事実」
と、この時の記事にも書いています。
そんな私がなぜか、共感できるのに違和感を覚えたセリフがあります。
それはサバイバル・ウエディングというドラマ。
ドラマが始まる前に紹介されているストーリーを見たとき、私の好みではなさそうだなぁ…と思い、録画の予約リストからは外していたんですよね。
ところがある日、テレビをつけたときに流れていたこのドラマをなんとなく見ていたら。
想像していたより面白かった。
その日から予約リストに加わったのでした。
そのサバイバル・ウエディングでの編集長のセリフ。
『誰かに幸せにしてもらえるよう拝むのではなく、人を幸せにできる人間になれということだ』
この言葉の何が違和感だったのか?妙に気になったんだけど、どうやら私の過去の感情がそうさせたようです。
22歳の私は結婚したら幸せになれると思っていました。
というよりも、
幸せにしてもらえる、と思っていました。
でも振り返れば結婚当初?、元夫は私にこう言いました。
『coyukiを幸せにできるなんてことは言えないけど、俺が幸せになる自信はある』と。
このとき私は
「なんて自分に正直な人なんだろう!最初からカッコつけずにこんな風に言える人なら私は信じられる!」
って思ったんですよね。
そうして始まった結婚生活。
まぁ…想像もしていなかったことが次から次へと起こります。
けれどそれを乗り越えていくことが、幸せへの階段を一段一段上がっているということなんだと信じていました。
だから自分の感情は横におき、周りにとっての”ベスト”を最優先しました。
その選択で、ホッとしたり喜んでくれることを感じられたのは嬉しかった。
なのに、離婚して娘を連れてのシングルマザーになりました。
「誰かに幸せにしてもらえるよう拝むのではなく」に対し、幸せは依存して手に入るものではないと思っているので共感。
「人を幸せにできる人間になれということ」に対し、人を不幸にするような人間になっちゃダメ!と思うので共感。
でも人が幸せなら自分も幸せ。
そう信じて自身を思いやることを後回しにし、周りの意志を最優先にしてできる限りの手を尽くしたつもりの私。
22歳の頃に望んだ幸せは得られなかったよね?
共感できるのに違和感。
あのセリフを聞いたときにそんな感情が一瞬顔を出しました。
じゃあ22歳に望んだ幸せを得られなかった今の私は、不幸なのか?
これから先何が起こるか予測もできないし、生活の安定も健康も約束されたわけでもない。
けれど今の私は、大なり小なり関わってくださったすべての方々のおかげで、ありがたい時間を過ごせているという実感があります。
たったひとつのドラマのセリフがきっかけではありましたが、過去を振り返って。
誰かの喜びに携われる自分でいれば、その瞬間は一見すると一方通行のようなことでも、違う方角から律儀に自分に返ってくる、そんな風に思います。
結局のところぐるっと一周回ってこのセリフに100%共感。
人を幸せにします!
…なんてことを、自分の非力さを知っている今の私には、おこがましくて言い切れません。
だけどせめて自分自身を信頼できる”私”でありたい。
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読みづらく感じたところを少し修正しています。
5年前の記事に、今の私が付け加えるなら。
”誰かのため”に、自分を置き去りにしてもいけない。
”自分のため”に、誰かを置き去りにしてもいけない。
この難しいバランスを取りやすくするために、信頼できる”私”であることが支えになる。
そう思っているのだけど、ブレブレの私には遠い理想。
まだまだ周りの言葉にハッとさせられることが多く、なかなかたどり着けません。
だから多分、この修業は一生続くんだろうな、と思っています。
月末の年度末。
やりたいことが盛りだくさんですが、短くて貴重な春の陽気も楽しもうと思います。




