”だろう運転”という言葉をご存じでしょうか。
運転免許を取った方なら
おそらく教習所で耳にしていると思われます。

ウィキペディアには
自動車の運転において、事故に繋がるような楽観的予測に基づいた運転を戒める日本語の慣用句
と書かれています。

どういう状況かというと
「歩行者はいないだろう」
「譲ってくれるだろう」
「対向車はこないだろう」

運転している自分にとって都合のいいように
予測してした”だろう”ではなかった場合に
事故に繋がることが多いんですね。

でもこれは運転しているときに限らず
日常でも多々起こりうることだと思うのです。

例えば
「ゴミくらい捨てておいてくれるだろう」
「片づけてくれるだろう」
「用意してくれるだろう」
「手伝ってくれるだろう」

だろうと思ってしまったばかりに
だろうにならなかった時
損をしたような感情になってしまいます。

それを回避するのは
”かもしれない”という予測。

「歩行者がいるかもしれない」
「譲ってくれないかもしれない」
「対向車がくるかもしれない」

頭の中の予測段階で
どちらを選ぶかによって
起きてしまったときの感情は
真逆になりますね。

最近、私の身近な日常でも
だろう運転的なことが起こりました。

少しでもあとの労力が少しで済むようにと
数時間かけて準備し
大きなものを置く場所を確保していたのに
たまたま準備した私たちが居合わせず
予定していた場所に設置されなかったため
結局、そこからさらに移動させるという
労力を使わせてしまいました。

これによって準備した側は
「せっかく考えていたのに」
置いた側は
「何も聞いていないのに分かるわけがない」
と、お互いにちょっとしたマイナスの感情に
なってしまったのです。

「これできっと分かるだろう」と思わずに
「分からないかもしれない」と思って
ほんの一言、伝えておけばすむこと
だったんですよね。

ひとつひとつの些細なことが
積もり積もれば大きな問題になることも。

最近あった反省の出来事でした。

IMG_8605

やっぱりこっちの配置に戻そうかと
画策中…。


本日0のつく日でポイント5倍です!





最近こちらのショップで服を買うんだけど
着ているとよく褒められます。
相性が良かったみたい。



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