ピークを過ぎた実家の片づけ。

2020年中に片を付けると目標を決め
いいペースで進んでいたんですけどね。

想定していたこの暑さと
想定していなかったコロナと雨漏りとで
すっかり止まっています。

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あまりにもの量だったので
ものすごく片づいた満足感があったけど
一息ついて見渡してみると
まっだまだどうにかしないといけないものが
たっくさんあるんですよ。

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小さくてかわいいので処分しづらい。
行き先を探しているところ。


それらを見渡しながら
友人の言葉を思い出すのです。

実家の片づけってリレーみたいだと。
子供に軽いバトンを渡すのか
それとも重い鉄アレイを渡すのか
走りやすさは明らかに違う。

走り切った最後に渡すバトンが軽ければ
渡された子供は軽快なスタートが切れる。

でも重い鉄アレイを渡された子供は
スタートから負荷がかかる。

これでいうと私は母から重い鉄アレイを
渡されたわけです。
そしてまだ走り終えていません。

それでも足を前に運んでさえいれば
ゴールは確実に近づいてきます。

近づいているのに
鉄アレイをおろして休憩したくなる。
っていうかすでに休んでる

悪いことばかりでもなくて
鉄アレイを持っているからこそ
見ることができた景色もあり、
応援してくれる方が増え、
人に支えてもらえることのありがたさを
味わうことができました。

だけど私はやっぱり
娘には軽いバトンを渡したいですね。

鉄アレイを渡され、走ってみて思うのは
持っているモノの量に対して
負荷を感じるのではなかったんですよね。

使って何かしらのストレスがあったのか?
興味がなくなってしまったのか?

隅に追いやり見えないところに仕舞い
モノとしての価値すらを失わせるような
そんな扱いに対して、
また、手放す決断を先送りし、
ため込んだそれらの処分を肩代わりさせられた
…という感情にずっしりと負荷がかかるのです。

たくさんのモノを片づけましたが
母が大切に愛しんでいたものは
ちゃんと分かるんですよ。

最後の瞬間までこれらが
母の暮らしを豊かにしてくれていたのだと
感じられるんですよ。

実家の片づけというのは
そういう思いで向き合える方がいい。

だからどれだけ持っているかではなく
なにをどんな風に持つか、だと思うのです。

モノを持たずには生きられません。

安全に快適にそして楽しく生活するために
モノは必要なのであって
そうでないものを持ち続けることは
本人にとっても家族にとっても
ひいてはモノ自身にとっても
いいことはありません。
私には思いつきません。

隅に追いやってしまう前に
「私の暮らしにはなくてもいいかな?」
と思うこと。
そしてそれらをちゃんと卒業させること。

たぶんそうしているだけで、
ふと気が付けば
軽いバトンを渡せる準備が
できているのだと思います。

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私は今のところ、
軽いバトンを渡せる気がしています。
モノすらないハイタッチってのはムリだな



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