友人との会話の中でふと、昔見た番組内で出演者の方が話題にしていた、子供にお年玉を渡す時にかける言葉を思い出しました。
大人が子供にお年玉を渡す時、つい「大事に使えよ~」とか「貯金しろよ~」みたいなことを言ってしまう、と。
でもその方の場合は「しょうもないもん買えよ」でした。すると言われた子どもは「えっ?」って思いますよね。
”しょうもないもん”と言うに至るにはこんなやりとりがありました。
「人の価値観はみんな別々や。おまえ俺のエアガンどう思う?」
「しょうもないもんや」
「やろ?でも俺は夢中で買うねん」
「ほなママの香水は?」
「くさい水」
「やろ?でも子供たちがなんか買ってきたら、親は”しょうもないもん買うな”ってついつい言うねん。
でもそれは違うねん。
お前たちにとっては大切なもんのはずや。
だから俺らから見たらお前たちはしょうもないもんを買うねん。
でもそれが正しいお金の使い方やからしょうもないもん買え言うてんねん。」
すると娘さんはお金を使う時に「ちょっと真剣になるわ」と言いその後実際に何を買ったかと言うと、しょうもないものが見つからんと言って買わなかったとのこと。
なぜこの言葉を思い出したかと言うとお片づけの現場でよくある「私から見たらゴミなのに捨てさせてくれない」という話をしていたことがきっかけだったんですよね。
部屋の片づけを全面的に任されていると、感覚に合わないものはそこから省きたくなるけど、逆の立場になってモノを処分された時ってけっこうダメージ受けますよね。
私の同級生は母親に卒業アルバムを勝手に処分されたそうでかなりショックだったと!
お金の使い方も、モノの持ち方も人の価値観はみな別々。
それと同じく自分自身の中でも、時間の経過によって変化する価値観もあると思うんですよ。
実家の片づけを2年に渡ってやってきて、4.5畳・6畳・10畳の3部屋分に集められた母のモノの持ち方を見ていてもそう感じます。
今の自分にとって興味のあること、大切にしているモノが、10年後も同じとは限りません。
人から見て”しょうもない”と思えるものでも、本人にとっては大事なもの。
それが時間の流れによって、自分にとって”しょうもないもん”に変わったときに、「手放すこと=過去の買い物が無駄遣い」と思いたくなくて、思われたくなくて、手放せない…という場面も多いように感じます。
もしもそんな縛りで手放せないでいるとしたら、その感情から解放してあげてほしいですよね。
そして無駄遣いではなくその時の”私”にとっては大切なお買い物だったことをちゃんと認め、過去の価値観を手放すことが、今の自分をもっと大切にできる、ってことになるように思います。
ゴミに見えてしまう他人のものをどうするか?の前に、”私”にとって大事なもの、手放せないものが奥にしまい込まれてゴミのような扱いになっていないでしょうか?
捨てられないという感情に”大事な思い出”という言葉でフタをしてしまってはいないでしょうか?
まずは今の価値観で持っておきたいと思えるものを選び、そう決めたものたちの環境を整え、害虫やカビやほこりからしっかり守り、大切にしまいなおしてみる…。
そんな姿が、もしかしたら、もしかしたら、周りの人たちの気持ちを動かすことに繋がるかもしれません。
今日は七夕ですね。
といっても特別なことが何もできずいたっていつもと同じ日常ですが、そんな今日にも感謝です。
今日も見にきてくださってありがとうございます!
良い一日になりますように♩
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大人が子供にお年玉を渡す時、つい「大事に使えよ~」とか「貯金しろよ~」みたいなことを言ってしまう、と。
でもその方の場合は「しょうもないもん買えよ」でした。すると言われた子どもは「えっ?」って思いますよね。
”しょうもないもん”と言うに至るにはこんなやりとりがありました。
「人の価値観はみんな別々や。おまえ俺のエアガンどう思う?」
「しょうもないもんや」
「やろ?でも俺は夢中で買うねん」
「ほなママの香水は?」
「くさい水」
「やろ?でも子供たちがなんか買ってきたら、親は”しょうもないもん買うな”ってついつい言うねん。
でもそれは違うねん。
お前たちにとっては大切なもんのはずや。
だから俺らから見たらお前たちはしょうもないもんを買うねん。
でもそれが正しいお金の使い方やからしょうもないもん買え言うてんねん。」
すると娘さんはお金を使う時に「ちょっと真剣になるわ」と言いその後実際に何を買ったかと言うと、しょうもないものが見つからんと言って買わなかったとのこと。
なぜこの言葉を思い出したかと言うとお片づけの現場でよくある「私から見たらゴミなのに捨てさせてくれない」という話をしていたことがきっかけだったんですよね。
部屋の片づけを全面的に任されていると、感覚に合わないものはそこから省きたくなるけど、逆の立場になってモノを処分された時ってけっこうダメージ受けますよね。
私の同級生は母親に卒業アルバムを勝手に処分されたそうでかなりショックだったと!
お金の使い方も、モノの持ち方も人の価値観はみな別々。
それと同じく自分自身の中でも、時間の経過によって変化する価値観もあると思うんですよ。
実家の片づけを2年に渡ってやってきて、4.5畳・6畳・10畳の3部屋分に集められた母のモノの持ち方を見ていてもそう感じます。
今の自分にとって興味のあること、大切にしているモノが、10年後も同じとは限りません。
人から見て”しょうもない”と思えるものでも、本人にとっては大事なもの。
それが時間の流れによって、自分にとって”しょうもないもん”に変わったときに、「手放すこと=過去の買い物が無駄遣い」と思いたくなくて、思われたくなくて、手放せない…という場面も多いように感じます。
もしもそんな縛りで手放せないでいるとしたら、その感情から解放してあげてほしいですよね。
そして無駄遣いではなくその時の”私”にとっては大切なお買い物だったことをちゃんと認め、過去の価値観を手放すことが、今の自分をもっと大切にできる、ってことになるように思います。
ゴミに見えてしまう他人のものをどうするか?の前に、”私”にとって大事なもの、手放せないものが奥にしまい込まれてゴミのような扱いになっていないでしょうか?
捨てられないという感情に”大事な思い出”という言葉でフタをしてしまってはいないでしょうか?
まずは今の価値観で持っておきたいと思えるものを選び、そう決めたものたちの環境を整え、害虫やカビやほこりからしっかり守り、大切にしまいなおしてみる…。
そんな姿が、もしかしたら、もしかしたら、周りの人たちの気持ちを動かすことに繋がるかもしれません。
今日は七夕ですね。
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