過去画像より。
娘からもらったドライフラワーをポットに入れていたら、茎が細いお花がしなっと曲がってきてしまったので吊るすことにしました。
穴を一切開けないで飾ろうと思うと場所が制限される。
ムムム…
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”ちゃんと”するって難しい。
片づけ・掃除・食事。
それらのすべてを完璧にしようとすると、どこかしらにしわよせがくる。
どうやら私には車のアクセルやブレーキでいうところのあそびのような余白が必要。
完璧であることに強く惹かれるのに、自分がそうしようとするとこじらせる。
こじらすと思考停止。
何に手をつけても着地点を見失ってしまう。
完璧ではないにしろ、8割ほどは維持できていただろうことを1割にまで落としてしまう。
私自身にそういうところがあるように、何事も人それぞれの加減がある。
それは家族関係・人間関係においても。
だから周りに対しても余白を意識する癖がついた。
人に余白を作ることで私自身に余白を与えることを許そうとしていたのかもしれない。
でもそういう風に接すると場面によっては、中途半端だと受け止められたり、楽することに逃げていると思われたり、本気で向き合っていると感じてもらえなかったりする。
以前読んだ本の一節。
『正しい正しくないではなく、相手の感情がどのように触れているのかに焦点を当てて、伴走者になる』
この言葉を見つけたとき、勝手に自分仕様に変換して私は私のやり方でいいんだと思えた。
手を引っ張るのでもなく
背中を押すのでもなく
どの道を、どんなペースで、どういうスタイルで走るのがベストなのか。
迷いながら走っている本人自身からは見えにくい、起こっている現状と感情の触れ方を確認しながら、それぞれの個性にとって最適な方法を見出すサポートができる伴走者。
私自身が何事もちゃんとできる完璧な人を目指そうとするよりも
そもそも完璧な人ってなんだ?
周りから信頼され、自分で自分を信用できる伴走者になる。
それを感情や思考の定位置にしてみよう。
そんなことを考えていて気づいた「私の周りには強力な伴走者ばかり」というありがたい現状。
ただただ感謝。
思いついたまま文章にするとこうなる。。。
よく分からない内容でごめんなさい。
考えがまとまらない日があったって大丈夫。
片付けや掃除ができない日があったって大丈夫。
戻る場所、戻す場所は決めたんだから。
大丈夫なんて言い聞かせながら、、、
理想を追い求めすぎてこじらせている場所あり。
それについてはまた別記事で。
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