日曜日に実家の片付けに行ってきました。
どのみち長期戦なので根詰めず、父が私の車を使って出かけている間の2時間程度にとどめています。

片付けているのは、モノを精一杯詰め込んで母がフル活用していた部屋3つ分。
そのうち元々は祖母の部屋だった10畳の部屋を最初に片付けました。

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この状態から…

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ここまでに!
そして今取り掛かっているのが2つ目の部屋。

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ここはかつて妹の部屋でした。
家を建ててしばらくしてからベランダをつぶし増設したため、ちょっと変わった間取りです。

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入り口に近い方の部屋半分を仕上げました。

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モノを取り除いてみると、母の性分があらわに…(^^;

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剥がれてきた壁紙を隠すための応急処置が雑すぎる!!!

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ミシン出してきてまで縫う性分じゃなかったよね(^^;

カーテンも錆びついたカーテンレールもすべて外しました。
この部屋に明るい日差しが降り注いだのは何年ぶり…何十年ぶりだろ?
まだ半分なのに部屋の空気は全く違います。

次はその残り半分の片付けと最後の3つ目の部屋が待っています。

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道のりは遠い…。

この作業をしながらいつも思うんですけどね、
モノを持ちつづけることの意味ってなんでしょう?
モノを手放さないことってどれほど価値があることなんでしょう?

金具ひとつ、紙切れ1枚、ひとつひとつ手に取って振り分けていたら、2時間あっても進められる範囲はほんのわずかです。

たかが2時間も積み重ねると何か月分になるか分かりません。
その何か月分になるか分からない時間は、仕事をして報酬を得ることができたり、または本を読んだり、人と会って会話したり、本来私がしたいこと好きなことに使えたはずのもの。

私の人生にとっても限りある時間を使うだけの価値が、この作業にあるんでしょうか?
もし母が毎日ほんの5分でも、自分の持ち物に向き合ってくれていたら、この時間私は友達とお茶できてたかもね、とか思ってしまったりします。

そんな私は冷たい娘でしょうか?

でもこんなことを言いながら、さみしい子供時代を過ごして大人になった母のことを責めきれない私もいたりはするんです。
きっとこれらひとつひとつのモノたちが母のさみしさを埋めてくれたのでしょう。
手にした瞬間だけだったとしても心が満たされたのでしょう。
そして今私がこういう暮らし方を選ぶことができたのも、ずっと母の姿を見ていたからこそ、とも思えます。
ふと気が付けば今日はそんな母の誕生日でした。

まだまだ先だと思いたいけど、この次は私が娘に最後の後始末をしてもらうことになります。
いつかその日が訪れても、私が最後まで持ち続けた物にはそれを選んだ意味があり、それらすべてひとつ残らず暮らしの中で活かしきったはず、って理解してくれると思っています。
あとはそれらの処分方法を明確にしておくだけかな?というところです。

その娘も昨年の3月から一人暮らしを満喫しています。
画像使用、あっさり「いいよ!」もらいました♪
あんまりにも暗い画像が続くもんでここで使うことにしました(^^;

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ブログを始めたころは、娘の部屋や片付け方に対して干渉しすぎじゃないか?といったご指摘をいただき、いろいろ考えるきっかけになりました。
でも親から離れて独り立ちしたあと、自力で快適に暮らしを楽しむための知識や技はしっかり伝授できたのではないかと思っています。

モノを手に入れる時はワクワクして嬉しいけど、その瞬間からモノと感情はセット?ペア?
縁を切るのがとても難しくなるんでしょうね。
でもモノと人の魂は永遠の二人三脚なわけではない、そんな風に思います。

片づけをしている最中の私が思うに、モノの量も重要だけど、扱い方も大事だと思います。
こんな母の部屋の中にもここだけは愛してやまないスペースだったんだろうな、という場所があって、そのスペースからはあたたかさを感じます。
遺品整理という作業の中でもせめてそんな温度を感じると、また違った感情で向き合えるものだなぁと。
だからか?その温度を感じる3つ目の部屋は最後にしてるんですよね。無意識でしたけど。

週の初めなのに長々とすみません。。。
最後まで読んでくださりありがとうございます。



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